【「日本」の解き方】 黒田日銀「次の一手」は? カギとなるバーナンキFRB議長の政策

黒田日銀「次の一手」は? カギとなるバーナンキFRB議長の政策
ZAKZAK2013.05.31
.連載:「日本」の解き方


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FRBのバーナンキ議長(AP)

 日銀は黒田東彦(はるひこ)総裁率いる新体制になった。黒田総裁はFRB(米連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長と親交があり、バーナンキ氏の手法を踏襲してゆくものと思われる。黒田日銀の次の手を読むのにも、バーナンキ氏の金融政策を理解することは必要だ。

 バーナンキ氏の学者時代の業績としては、元FRB副議長でもあったアラン・ブラインダー教授(プリンストン大学)と共同研究した金融政策の経済への波及メカニズムなどのほか、1930年代の世界大恐慌を国際比較の視点から研究し、インフレ目標を定めて行う金融政策について理論的に基礎付けた。代表的著作として『大恐慌論文集』(2000年、プリンストン大学出版)、『インフレーション・ターゲティング』(1999年、プリンストン大学出版)などがある。

 バーナンキ氏の金融政策は、日本が見習うべきものだ。バーナンキ氏自身も、「デフレ脱却を目指す試みを支持する」とアベノミクスを評価している。FRB議長が他国の金融政策を評価するのは異例であるが、バーナンキ氏はデフレ長期化が経済成長を阻むと繰り返し強調しており、黒田日銀には心強い味方だ。

 また、日本の金融緩和策が円安を目的にしているとの批判をめぐっては「先進国で日本だけが特殊な事例ではない」と指摘し、「日本が目指す金融政策は国内目的であり、為替相場を目標にしてはいないと思う」と擁護している。

 筆者がプリンストン大時代に、『インフレーション・ターゲティング』に関連し、インフレ目標について「米国はやっていませんね?」といったら、バーナンキ氏は「必ずやる」といっていた。

 そして2002年5月、バーナンキ氏がFRB理事になり、03年5月の金融学会での報告のために来日したときに、日本経済に対する処方箋も述べてくれた。残念ながら当時の福井(俊彦)日銀はそれを受け入れず、白川(方明)日銀も不作為だった。

 また、筆者が米国でのインフレ目標はどうなるかと聞いたら、「すべき」と言っていたので、これは絶対にやると確信したものだ。そして、我慢に我慢を重ねて、FRBの審議委員を説得して、12年1月にとうとうFRBにインフレ目標を導入した。

 それまでの間、08年にはリーマン・ショックも起こったが、大恐慌の専門家であるバーナンキ氏は、猛烈な金融緩和でうまく乗り切った。大恐慌下では金融緩和の程度によって経済への影響が変わっており、金融緩和したほうが影響は少なくなっているという有名な自分自身の論文の成果を実際の政策に生かしている。

 おそらくバーナンキ氏以外の人だったら、あれほどの大胆な金融緩和はできず、下手をすれば、1930年の大恐慌の二の舞いだっただろう。

 日本に対する処方箋でも、バーナンキ氏はプリンストン大時代から一貫して正しかった。そして、金融緩和でデフレ脱却を目指す「リフレ政策」がようやくアベノミクスで実現しようとしている。もっと早くやっていればと悔やまれるばかりだ。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

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