【たそがれる国家(2)】 溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ

溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ
たそがれる国家(2)
内山 節哲学者
現代ビジネス2016年11月29日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50307


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次第に国家が意味を失っていく、いま世界はそんな時代に入りはじめたのではないだろうか……。哲学者・内山節が世界の大きな潮流を読み解く新連載第2回。はたしてトランプ勝利が意味することとは?(*第1回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50071

理念より現実

1776年に出版されたトーマス・ペインの『コモン・センス』は、世界の歴史を動かした本の一冊といわれている。

1775年にレキシントンの戦いが勃発し、イギリスからのアメリカの独立戦争がはじまった。当初はアメリカ軍は劣勢であった。その渦中でアメリカの独立を鼓舞したこの本は出版され、たちまちベストセラーになる。勇気づけられたアメリカ軍は反撃に出る。そんな役割をはたした本だった。

ところがこの本の内容は、かなりお粗末である。

人民の権利を述べている部分では、かたちの上ではジョン・ロック(1632~1704)の自然法思想が使われているが、重心はイギリスから独立しても経済的な利益は維持できるというところにあった。

簡単に述べれば、独立しても利益は維持できるから大丈夫だという説得である。

独立の大義を語るときには、普通は崇高な理念のようなものが書き込まれるものだが、そんなものは感じられない。独立しても儲かるという話なのである。そういう意味でこの本は、世にも珍なる本だといってもいい。

理念より現実を重んじる精神。

この精神は「アメリカ独立宣言」(1776年)や「アメリカ合衆国憲法」(1787年)、さらには1883年のリンカーンによる「ゲティスバーグ演説」にまで通底している。この演説では「by the people, for the people」の部分がよく知られていて、「人民による、人民のための」と訳されたりしてきたが、全文を読んでみると気がつくのは全体に流れている現実主義的な精神である。

近代社会の建前

近代から現代にかけての世界は、いくつかの建前によってつくりだされてきた。

1789年のフランス革命は自由、平等、友愛という近代の理念を宣言したし、イギリスでは議会制民主主義の実現をめざす改革が進んでいた。さらに産業革命以降の世界は、経済発展をエネルギーとし、経済が発展すれば人々は豊かになっていくという理念にもとづく社会を創り上げていく。

それらの理念は、いわば近代社会の建前であったといってもよい。

自由や平等が本当に実現したわけではない。議会制民主主義が民意を反映した「国民の国家」をつくるわけでもない。経済発展が人々に豊かさをもたらすとはかぎらない。経済発展が「取り残された人々」や「旧来のシステムで生きている人々」を没落させ、新たな貧困をもたらすのもしばしばである。

だが、自由、平等、民主主義、経済発展が豊かさをもたらすといった建前を維持することによってでき上がったのが、近代社会なのである。

この建前は、1917年のロシア革命によって強化されることになった。

弱肉強食のような社会を放置しておけば、社会主義革命が起こるかもしれないという恐怖は、この建前を現実化する動きを高めた。

自由や平等の実現に向けて努力すること、民主主義が機能するように努力し、経済発展が人々の豊さと結びつくように努力する。社会主義革命への恐怖は、そういう動きをひろげていくことになった。

政治的には被抑圧者たちの権利の承認がすすんでいった。女性の権利、少数民族の権利、最近の性的マイノリティの権利などさまざまな権利が承認されることによって、自由と平等の実態化がはかられた。

とともにもうひとつ重要だったことは、社会の再配分システムをつくりだすことだった。

そのひとつの軸は税制と社会保険、社会保障システムの構築である。

累進課税や財産税などの制度などが試みられ、所得に応じた社会保険料を支払うことによって誰もが平等に医療制度などを活用できるようにする。子どもたちは親の所得と関係なく学校教育が受けられるようにし、公共住宅の建設や全国的な交通網の確立、収益基盤の弱い産業への支援などがおこなわれていった。

さらに述べれば、再配分システムにとって重要な軸のひとつに安定雇用の確立があった。日本では戦後の高度成長期に生活給的な賃金体系と終身雇用制がつくられたが、これも収益性の高い分野から低い分野への再配分システムという一面をもっていた。

20世紀の社会は、このようなさまざまな努力を積み上げることによって、近代社会の建前に実態を伴わせようとしてきたのである。

だがそのような努力があったとしても、建前は所詮建前にすぎない。完全なかたちで実現することはないのである。

さらに1991年にソ連が崩壊し、「資本主義の勝利」が謳歌されるようになると、私たちの社会は建前を守ろうとする努力への熱意を失っていった。

再配分システムの強化よりも自分のものは自分で稼げといった風潮が高まり、すべてのことを市場で決めようとする市場原理主義が跋扈していく。企業や高所得者への減税などがすすめられ、社会保険、社会保障システムも劣化していくことになった。企業もまた安定雇用のために努力しなくなり、それは格差社会や非正規雇用の増大を生んでいく。

こうして生まれてきたのが、本音の時代だったといってもよい。

上からも下からも本音が噴出

近・現代社会は、建前と本音の衝突を内蔵させながら、建前を守ることによってつくられた社会なのである。

建前としては自由、平等、友愛があり、民主主義や人々の豊かさをめざす経済があった。だが本音としては、自己や自分の企業活動の自由であり、それぞれの最大利益の獲得だった。簡単に述べれば、自分が勝者になればそれでよいのである。

民主主義は多数派の横暴にすぎないし、自由は自分の自由のためのものだ。近代社会はそういう本音もまたもっている。

建前を大事にし、本音を隠す。それが近代社会の作法だったといってもよかった。

リベラリストたちは建前の実現に向かって努力しつづけることが人間の責務だという立場をとっていたし、ロシア革命の衝撃はこのリベラルな立場の社会化を求めた。

今日の世界を覆いはじめているものは、この建前の虚偽性の露見である。あるいは建前を近代の理念だとしてきたことの虚偽性の露見だといってもよい。

政治や経済も、建前よりも本音で動くようになってきた。政治家たちは自分の権力を維持するために動き、それはポピュリズム(大衆迎合主義)をもたらしていく。

あるいは今日の政治は、ポピュリズムというよりデマゴーグの政治といった方がいいのかもしれない。デマゴーグとは自分の権力を維持し高めるためには何でもする扇動政治家のことなのだが、日本でも小泉、安倍という扇動政治家の時代がつくられている。

経済もまた、本音の経済の時代である。格差社会やブラック企業が生みだされていくばかりでなく、労働組合もまた電力総連などが原発推進派の候補を応援するように、本音が前面に出てきている。

だが本音の社会ができていけば、建前としての「公正」は崩れていく。そしてそれは、「取り残された人々」や「没落していく人々」を救済しない社会をつくりあげることになる。

そうなれば人々のなかからも本音で動く人たちが前面に出てくる。こうして、「上からも」「下からも」本音の社会がつくられていく。

今回のアメリカ大統領選挙が示したのはこのことだった。

なぜトランプが勝ったか

建前の社会を代表したのはクリントン候補だったが、もはや彼女は建前の代弁者だとはみなされていなかった。建前を掲げることによってエリートたちの利益を代弁する本音の政治家だと思われていたのである。建前が本音の手段に使われていると思えばいい。

それに対してトランプ候補は、ストレートに人々の本音に語りかけた。イスラム教徒や移民の排斥、アメリカ第一主義。それらは有権者の本音を揺さぶる方式だったといってもよい。こうして大統領選では、本音と本音がぶつかり合うことになった。

ところで大統領選の得票をみると、「没落した」白人だけでなく、大学卒の白人や女性などの票もトランプ候補がかなりとっていた。おそらくそれはこういうことである。トランプ候補は、自分が当選すれは皆様は儲かる、ということを提示していたのである。

不法移民を追放して雇用を守るというのもそのひとつだし、企業と全所得階層の減税、大規模な公共投資などを約束していた。

この約束は上層の人たちにとっても本音では悪くない。所得税が減ることも悪くないし、企業の税引き後の利益が多くなれば分け前も増えるかもしれない。公共投資などで一時的な活況がもたらされれば、そこからも新しい収益源が生みだされるかもしれない。

「儲かる」という本音の部分を揺さぶったのはトランプ候補だった。


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〔PHOTO〕gettyimagees

それに対してクリントン候補は、現状維持の政治家、既成の支配層の利益の代弁者としか有権者には映らなかった。自分にも利益をもたらしてくれる人ではなかったのである。

本音の時代に移行すれば、本音を揺さぶる扇動政治家が支持を拡大する。アメリカはこの方向に動きやすい社会なのかもしれない。

なぜなら『コモン・センス』をはじめとする建国の意義を書いた文章が示しているように、どちらが利益になるのかといったプラグマチズムや現実主義が、建国時から底流には流れていたからである。それがアメリカは移民の国だということの意味でもある。

もっともそのアメリカは、とりわけ戦後になると、自由や民主主義の守護神として振る舞おうとした。だがそれもまた、建前を前面に出すことによって自分たちを脅かしかねない敵を封じ込めるという本音の部分に裏付けられていた。本音の手段として建前を利用したにすぎない。

だが今日では、建前の利用価値は低下している。「社会主義圏」は崩壊したし、建前を掲げて世界を牛耳るだけの力もなくなっている。本音を押さえておく必要性がなくなっているのである。

民主主義とファシズム

今日では、世界中が本音で動くようになっている。ヨーロッパでも移民などの排斥を掲げる極右勢力、国家主義政党が勢力を伸ばしている。ポピュリズムやデマゴーグの政治が跋扈し、それが世界中に広がっている。

そしてそれは、近・現代の虚偽性を暴露していくことになる。

そもそも近代の建前自体が虚偽性をもっている。つねに不自由や不平等が存在し、機能しえない民主主義、問題を生みだしつづける経済発展がこの時代の真の姿だといってもよい。

だが、これまでも述べてきたように、この建前を守る、あるいはこの建前を社会化するために努力する、それがリベラル派の理念でもあった。その理念が持ちこたえられなくなっていく、建前の虚偽性によって打ち崩されていく。それがいま、世界の動きをつくりはじめているのである。

とするとそれは、近代以降の社会や国家のあり方の黄昏を露見させているのではないだろうか。建前を維持できなくなれば、建前を守ることによってつくられてきた社会や国家は虚無化していくだろう。

だがそれだけの動きでは、新しい時代の創造は起こらない。なぜなら虚無化されていく国家を生みだしたものは、近・現代の本音でしかないからである。それでは近・現代の原理の上に、劣悪な国家をつくりだすだけである。

若くして亡くなってしまったが、1960年代終盤から80年代初期にかけて多くの作品をつくったドイツの映画監督に、ファスビンダー(1945~82)という人がいた。彼のテーマのひとつは、「我らの内なるファシズム」だった。我々の民主的な社会は、つねにファシズムの芽を内蔵しているという提起である。

それは、そのとおりであって、民主主義とファシズムは対極の関係ではない。民主主義は実現しうるというのが近代以降の建前であり、しかしそれはつねに本音の前に敗北してきた。

その本音が自分たちの利益を実現する強大な国家を求めれば、そこにファシズムがあるからである。そしてそれはますます存続できない国家を、すなわち黄昏れていく国家を成立させることになる。


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ターニングポイントは1965年だった! 私たちの自然観、死生観にそのときどんな地殻変動がおきたか?

「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(講談社現代新書) 内山節著(講談社 777円税込)


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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか [ 内山節 ]
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講談社現代新書 内山節 講談社発行年月:2007年11月20日 予約締切日:2007年11月13日


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商品基本情報
発売日: 2007年11月20日
著者/編集: 内山節
出版社: 講談社
サイズ: 新書
ページ数: 178p
ISBNコード: 9784062879187

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
かつては、日本のキツネが暮らしている地域では、人がキツネにだまされたという話は日常のごくありふれたもののひとつだった。それも、そんなに昔の話ではない。キツネに悪さをされた。キツネに化かされた。そういった話は、いまから五十年くらい前の二十世紀半ばまでは、特にめずらしいものではなかった。…ところが一九六五年頃を境にして、日本の社会からキツネにだまされたという話が発生しなくなってしまうのである。一体どうして。本書の関心はここからはじまる。そのことをとおして、歴史学ではなく、歴史哲学とは何かを考えてみようというのが、本書の試みである。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 キツネと人
第2章 一九六五年の革命
第3章 キツネにだまされる能力
第4章 歴史と「みえない歴史」
第5章 歴史哲学とキツネの物語
第6章 人はなぜキツネにだまされなくなったのか

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
内山節(ウチヤマタカシ)
1950年東京生まれ。都立新宿高校卒。哲学者。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らし、立教大学や東京大学などで教鞭をとる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




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