新日本プロレス、全日本プロレス 旗揚げ40周年・・・プロレスリング秘話

「G馬場は1960年代の米遠征1年間で1億稼いだ」との証言
NEWSポストセブン2012.04.02 07:00


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【馬場の代名詞といえば16文キック】

 身長209cmの長躯で日本のリング界のみならずアメリカでも成功を収めたジャイアント馬場。彼の雄姿を収めた『DVD付きマガジン全5巻~伝説の激闘コレクション ジャイアント馬場「甦る16文キック」』(小学館)が5月より刊行がスタートする。というわけで、数々の名勝負を繰り広げた“世界の巨人”の名勝負ベスト3を、プロレス評論家に選んでもらった。

【第3位】 
昭和57(1982)年2月4日東京体育館
「ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン」
 
 新日本のトップだったハンセンが全日本に電撃移籍を果たして実現した一戦。「当時ハンセンは全盛期、馬場は落ち目と見られており、戦前『馬場は殺されるんじゃないか』とまで心配されましたが、互角以上の闘いを見せ、馬場健在を大いにアピールした試合だった」(元『週刊ゴング』編集長・金沢克彦氏)

【第2位】
昭和49(1974)年12月2日 鹿児島県体育館
「ジャイアント馬場VSジャック・ブリスコ」

 プロレス界の最高峰NWA世界王座を日本人として初めて奪取した。「師匠・力道山が成し遂げられず、ライバル猪木は挑戦すらできなかったNWA王座を奪取し、ベルトを高々と掲げる馬場は本当にうれしそうでした」(『週刊プロレス』編集長・佐藤正行氏)

【第1位】
昭和42(1967)年8月14日 大阪球場
「ジャイアント馬場vsジン・キニスキー」

 馬場全盛期の代表的名勝負であり、馬場本人が「生涯のベストマッチ」と公言していた。「延長戦を含めた65分間闘って決着がつかず引き分けでしたが、二人とも全く息があがっておらず、馬場は『ランナーズハイならぬ、レスラーズハイの状態だった』といっていた」(プロレス評論家・菊池孝氏)

 * * *
 力道山なきあと、「もうなくなると思っていた」(前出・菊池氏)プロレスを復活させたのが馬場だ。身長209cmという規格外の巨体を武器に米国でブレイク。ニューヨークなどあらゆるテリトリーでメインイベントを張り、当時の世界三大王座に連続挑戦するという快挙を達成した。プロレス評論家の門馬忠雄氏は、その姿を「プロレス界の“野茂”だったと思います」と回想する。

「馬場はプロ野球では成功できませんでしたが、プロレスで大リーガーになった。当時、馬場がアメリカで1年間に稼いだ額は、あの時代において1億円を超えたと聞いていた」

 馬場は後に豊富な米国人脈を使い、日本プロレス分裂後の1972年、全日本プロレスを創立した。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


【懐かしの外人レスラー名鑑】銀髪鬼 フレッド・ブラッシー
NEWSポストセブン2012.04.02 16:00



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【“銀髪鬼”フレッド・ブラッシー】

 日本プロレス界を支えた外国人レスラーたち。ファンはみな、「未知の強豪」の来日に胸躍らせ、「悪役レスラー」の場外乱闘に逃げ回った。懐かしの顔を写真と共に紹介しよう。

■「銀髪鬼」フレッド・ブラッシー
 噛み付きを得意とし、歯をヤスリで研ぐパフォーマンスを展開。猪木vsアリ戦ではアリ側のマネージャーについた。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


日本プロレス界の父・力道山 大変貴重なリング上カラー写真
NEWSポストセブン2012.04.02 16:00



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【実業家としても優秀だった力道山】

 今年は、新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ40周年を迎える。大相撲から転身し、日本にプロレスを根付かせたのが力道山。

「力道山はメディアを味方にしなければプロレスは成功しないと考え、テレビ局と手を組んだ。さらに、米国最大のプロレス団体NWAのプロモーターライセンスを取得し、NWAの優秀な外国人を独占した。偉大なレスラーであるとともに、優秀な実業家でもあったんです」(プロレス評論家の菊池孝氏)

 正力松太郎(日本テレビ創業者)をして「プロレスはテレビで普及し、テレビはプロレスで普及した」といわしめた力道山は、戦後復興の象徴でもあった。

 写真はカメラマン木村盛綱氏(故人)が撮影した力道山。大変貴重なカラー写真だ。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


「日本プロレス史上最も盛り上がった」と評される大会とは?
NEWSポストセブン2012.04.02 16:01



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【再結成時の馬場・猪木の“BI”砲(1979年)】

 今年は新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ40周年を迎える。プロレスは戦後日本文化の象徴の一つとなっているが、1962年にはプロレスを見ていた老人視聴者がショック死するなど、世間を揺るがしたプロレス事件簿も多い。

 そうした事件簿のひとつが、「夢のオールスター戦」(1979年8月)だ。

 ソニーから「ウォークマン」が発売されたこの年、新日本プロレスと全日本プロレスの興行戦争が激化するなか、東京スポーツの主催で馬場・猪木の“BI”砲が再結成、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組との対決が実現した。

 プロレス記者歴半世紀の門馬忠雄氏いわく、「日本プロレス史上もっとも盛り上がった大会」であった。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


【懐かしの外人レスラー名鑑】鉄の爪 F・フォン・エリック
NEWSポストセブン2012.04.03 07:00



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【「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック】

 日本プロレス界を支えた外国人レスラーたち。ファンはみな、「未知の強豪」の来日に胸躍らせ、「悪役レスラー」の場外乱闘に逃げ回った。懐かしの顔を写真と共に紹介しよう。

■「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック
 顔面を握りつぶすアイアンクローを武器に活躍。息子達も次々とレスラーになったが、長男ケビン以外はみな非業の死を遂げ「呪われたエリック一家」と呼ばれた。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


A・猪木 プロレスの枠を超える「対世間」を意識していた
NEWSポストセブン2012.04.03 07:00



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【猪木vsアリの「格闘技世界一決定戦」(1976年)】

 今年は新日本プロレスおよび全日本プロレスが旗揚げ40周年を迎える。全日を率いたジャイアント馬場が“世界の巨人”なら、新日を率いたアントニオ猪木は“燃える闘魂”。1976年6月に日本武道館で行なわれたアリ戦は「格闘技世界一決定戦」と謳われ、「プロレス記者は誰も実現するとは思っていなかったから、アリが来たときには本当に驚いた」とプロレス評論家の門馬忠雄氏は振り返る。

 馬場に先駆け新日本プロレスを創立した猪木は、馬場の米国人脈に対抗してタブーとされていた大物日本人対決に活路を見いだし、ストロング小林や大木金太郎らと死闘を繰り広げた。

 さらにボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリ、五輪柔道金メダリストのウイリエム・ルスカらと異種格闘技戦を行ない、プロレスの枠を超える「対世間」を意識していく。

 作家・村松友視がベストセラー『私、プロレスの味方です』において、馬場のプロレスを「プロレス内プロレス」、猪木のプロレスを「過激なプロレス」と評すなど、猪木のプロレスは当時の知識人たちの心を鷲づかみにした。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


アメリカ時代のジャイアント馬場 1試合で700万円稼いだことも
NEWSポストセブン2012.04.03 16:00


「BI砲」として人気を博したジャイアント馬場とアントニオ猪木は40年前の1972年、袂を分かった。以来30年にもわたって「宿命のライバル」となった二人には、知られざるドラマがあった。『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)などの著者、ノンフィクション・ライターの柳澤健氏が迫る。

 * * *
 ジャイアント馬場は、常にアントニオ猪木のずっと先を走り続けた。

 猪木は絶望することなく、馬場を超えようともがき続けた。

 1970年を境にプロレスは世界中で凋落していく。しかし日本のプロレスは、このふたりによって異常な発達を遂げた――。

 身長2メートルを超える馬場正平は読売ジャイアンツの投手だった。

 重いボールが天井から落ちてくるような急角度で投げ下ろされる。コントロールも抜群だった。二軍では3回も最優秀投手に選ばれた逸材だったが、一軍で投げる機会はほとんど与えられなかった。

「異形の大巨人は紳士たるジャイアンツにふさわしくない」と考える人物が球団上層部に存在していた、ということだろう。

 ジャイアント馬場とは、ずば抜けたフィジカル・エリートであったのだ。

 大洋ホエールズに移籍してまもなく、馬場は風呂場で貧血を起こし、ガラス戸に突っ込んで腕に重傷を負い、引退を余儀なくされた。

 球界を去った馬場が力道山の日本プロレスに入門したのは、もちろん生活のためだ。

 力道山は馬場を可愛がった。常人離れした体格にスターの可能性を見つけたからだ。

 猪木寛至は馬場の5歳年下にあたる。ブラジルで肉体労働に明け暮れていた17歳の猪木をスカウトした力道山は、付き人の猪木に厳しく接した。

「先輩といいところまで戦えた、と満足してリングを下りた直後、木刀で頭を叩き割られたことが何度もあった」(アントニオ猪木) 

 まもなくアメリカに遠征した馬場は、アメリカン・プロレスの全貌を知ることになる。

 アメリカン・プロレスとは西部劇であり、すなわちアメリカ建国神話である。

 アメリカ合衆国とは、白人のゴロツキがヨーロッパから新大陸に渡り、有色人種のネイティブ・アメリカンを大量に虐殺して作り上げた国家である。

 しかし、アメリカ人は真の歴史を直視できない。そのためにアメリカ人は「悪い有色人種が善良な白人を襲ってきた。だから反撃して倒し、平和が回復された」という物語を繰り返し作らなくてはならなかった。西部劇もハリウッドのアクション映画もプロレスも、すべてはアメリカを正当化する装置なのだ。

 アメリカン・プロレスに必要なのは、身体の大きな有色人種の悪役である。悪く強く卑怯な有色人種を倒すからこそ、アメリカの正義、白人の正義が光り輝くからだ。

 かくして東洋の大巨人ショーヘイ・ババは悪役レスラーとして全米でひっぱりだこになった。ニューヨーク、シカゴ、セントルイス、フィラデルフィア。馬場がメインイベントに登場すれば、すべての会場が超満員。対戦相手もバディ・ロジャース、アントニオ・ロッカ、ブルーノ・サンマルチノ等の超一流レスラーばかり。アメリカ時代の馬場は、1試合で2万ドル(当時のレートで700万円)を稼ぐこともあったという。

 ニューヨークのビンス・マクマホン・シニアに「ババ・ザ・ジャイアント(Baba the Giant)」というリングネームをつけられ、メインイベンターとして飛ぶ鳥を落とす勢いにあった馬場は、力道山がヤクザに刺されて死亡したことを遠征中に知った。

 大黒柱が死んだ。日本プロレスは存亡の危機に瀕している。すぐに帰国してほしい。

 芳の里、豊登らの幹部は馬場に懇願した。

 馬場は迷った。アメリカに残れば大金を稼ぐことができるからだ。だが結局、馬場は帰国を選んだ。

 選手はケガをしてしまえば何の補償もないことはプロ野球時代の経験からも明らかだった。

 だが、力道山の後継者となり、組織の長となれば安定した高収入が得られる。それこそが自分の進むべき道だ、と馬場は考えた。

※週刊ポスト2012年4月13日号


ジャンボ鶴田の就職時「尊敬する馬場さんの会社選びました」
NEWSポストセブン2012.04.03 16:00



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【ジャンボ鶴田のダブルアーム・スープレックス】

 今年は新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げ40周年を迎える。プロレスは戦後日本文化の象徴の一つとなっているが、1962年にはプロレスを見ていた老人視聴者がショック死するなど、世間を揺るがしたプロレス事件簿も多い。

 そうした事件簿のひとつが、「ジャンボ鶴田の全日本プロレス就職」(1972年10月)だ。
 
 連合赤軍事件があったこの年、日本プロレスが分裂し、新日本プロレス・全日本プロレスが創立。旗揚げ直後の全日本に入団した鶴田は、会見で「プロレスは僕に最も適した就職と思い、尊敬する(ジャイアント)馬場さんの会社を選びました」と発言。写真は鶴田のダブルアーム・スープレックスだ。

撮影■木村盛綱

※週刊ポスト2012年4月13日号


故ジャンボ鶴田氏 幼少から巨大だったゆえの猫との悲話紹介
NEWSポストセブン2012.04.03 16:02


 今年は新日本プロレス、全日本プロレスが40周年を迎える。それを記念して、プロレスに精通したプロインタビュアー・吉田豪氏が、とっておきの秘話を3つ紹介してくれた。

【その1】
 猪木さんには「『フォーカス』襲撃未遂事件」ていうのがあって。『フォーカス』に不倫スキャンダルを書かれたとき(1986年)、「あいつらクソぶっかけてやる」っていって、本当に農家から肥料の糞をもらってきたんですよ。結局周囲に止められたんですけど。

【その2】
 ジャンボ鶴田には「怪物」ゆえの悲しいエピソードがあって、子供の頃から身体が大きかったので、あるとき寝返りうったら飼っていた猫が下敷きになって死んじゃったんです。そのあと、馬場さんが全日本入団の交渉で家へ来たとき、馬場さんの靴のなかで子猫が寝ているのを見て一気に信頼したっていう。

【その3】
 藤波辰巳(現・辰爾)は長州力との一騎打ちが藤原喜明の乱入でダメになったとき(1984年)、「こんな会社辞めてやる」って叫んでタイツ一丁のまま雪の札幌に飛び出したはいいものの、ホテルのカギを持ってなかったから、結局ロビーでその格好のまま待ってたんです。

※週刊ポスト2012年4月13日号


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